宇都宮地方裁判所 昭和60年(行ウ)1号 判決 1986年7月24日
原告 西房美
被告 増山道保
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一申立
一 原告
1 被告は訴外宇都宮市に対し、金六六〇万九一五七円及びこれに対する昭和六〇年三月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文と同旨。
第二主張
一 請求原因
1 原告は栃木県宇都宮市の住民であり、被告は同市の市長の職にあるものである。
2 被告は、昭和五八年一二月七日から昭和五九年四月一九日までの間に、昭和五八年一二月一八日施行された第三七回衆議院議員総選挙(以下「本件総選挙」という。)の栃木県第一区の選挙(以下「本件選挙」という。)のため、宇都宮市の公金六六〇万九一五七円を支出した(以下「本件支出」という。)。
3 しかしながら、本件支出は次のとおり違法な支出である。
(一) 本件総選挙当時における選挙区間の議員一人当たりの人口の較差は最大で四・三八倍(昭和五八年九月二日現在の選挙人名簿登録者比)ないし四・五四倍(昭和五五年の国勢調査による人口比)であつて、本件総選挙が依拠する公職選挙法の議員定数配分規定は憲法一四条一項、一五条、四四条但書による投票価値の平等の要求に違反しており、しかも、右の議員定数配分規定はその性質上不可分一体をなし、その違憲の瑕疵は議員定数配分規定全体に及ぶから、それに基づく栃木県第一区の本件選挙もまた違憲というべきである。
したがつて、本件支出もそのような違憲の選挙のためのものとして違法の支出たるを免れない。
(二) 地方財政法一〇条の四は、地方公共団体が負担する義務を負わない経費として、「国会議員の選挙、最高裁判所裁判官国民審査及び国民投票に要する経費」(一号)を挙げ、また、国会議員の選挙等の執行経費の基準に関する法律は、国会議員の選挙に要した経費を地方自治体に弁償することを定めている。
更に、公職選挙法二六三条は、具体的に項目を挙げて国会議員の選挙費用を国庫負担とすることを定めている。
そして、地方財政法二〇条の二は、国の支出金について不服のある地方公共団体は、自治大臣を経由して内閣に意見を申し出、又は内閣を経由して国会に意見書を提出することができる旨定め、同法四条一項は、地方公共団体の経費はその目的を達成するための必要且つ最少の限度をこえてこれを支出してはならないと定めている。
以上の地方財政法、公職選挙法の諸規定からすれば、国会議員の選挙の費用は明らかに国庫負担であり、地方公共団体の長である被告が国会議員の選挙の費用を支出するのは違法というべきである。
4 訴外宇都宮市は、被告の前記違法な公金支出により、支出金額六六〇万九一五七円と同額の損害を蒙つた。
5 被告は公務員として憲法擁護義務を課せられ(憲法九九条)、地方公共団体の長として国から独立した固有の法令解釈権を有しているところ、本件総選挙当時選挙区間の議員一人当たりの人口の較差は前記のとおりであり、最高裁判所昭和五六年(行ツ)第五七号同五八年一一月七日大法廷判決(民集三七巻九号一二四三頁)に照らし、本件選挙が違憲であることは当然予想できたものである。
また、被告は国の支出金の範囲内で選挙を執行すべきであり、それができない場合には前記のように地方財政法二〇条の二により自治大臣を経由して内閣に対して意見を申し出、又は内閣を経由して国会に意見書を提出すべき義務があるにもかかわらず、本件選挙に関しては国から宇都宮市に対し交付された四七〇〇万五六〇四円の範囲内で選挙を執行せず、かつ、内閣や国会に不服の意見書を提出することもなく、漫然と本件支出の如き超過負担を行つたものである。
したがつて、被告には本件支出について過失があつたというべきである。
6 本件訴訟は、原告が、昭和五九年一二月二五日、地方自治法二四二条一項に基づき、宇都宮市監査委員に対し行つた住民監査請求を前置している。同市監査委員は、昭和六〇年二月二一日、右監査請求を棄却する旨決定して原告に通知した。
7 よつて、原告は、地方自治法二四二条の二第一項四号の規定に従い、訴外宇都宮市の不法行為による損害賠償権に基づき、被告に対し、金六六〇万九一五七円及びこれに対する不法行為の後である昭和六〇年三月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を訴外宇都宮市に支払うよう求める。
二 請求原因事実に対する認否
1 1の項は認める。
2 2の項は認める。
3 3の項のうち、本件総選挙当時、選挙区間の議員一人当たりの人口の較差は最大四・三八倍(昭和五八年九月二日現在の選挙人名簿登録者比)ないし四・五四倍(昭和五五年の国勢調査による人口比)であつたことは認め、その余の主張は争う。
4 4の項は争う。
5 5の項のうち、本件選挙について国から宇都宮市に対し四七〇〇万五六〇四円の交付金があつたこと、宇都宮市が内閣や国会に対して意見書を提出していないことは認め、その余の主張は争う。
6 6の項は認める。
7 7の項の主張は争う。
三 被告の主張
1 衆議院が解散されると、その日から四〇日以内に衆議院議員の総選挙が行われるが(憲法五四条一項、公職選挙法三一条三項)、総選挙の具体的期日は内閣がこれを決定し、天皇の国事行為の一つとしてその施行が公示される。本件総選挙も右の経緯により決定、公示されたものである。
ところで、宇都宮市長としての被告は、予算調整及びその執行を担当する機関であり、選挙における市民の選挙権の行使を支障なからしめることは何よりも重要なことであるから、本件選挙の期日が決定、公示された以上、経費を支出することは市長としての最重要義務の一つである。
そして、もしも宇都宮市長としての被告に、本件選挙の施行経費の支出を拒否できる場合があるとすれば、それは予算執行機関としての被告が財務会計法規上与えられている権限に照らして、その経費の支出自体が違法となることが明白な場合、例えば、これから行われようとしている選挙に将来必ず無効とされるような明白な瑕疵が現存し、選挙経費として支出する公金がすべて無駄になることが明白に予想されるような場合に限られるというべきである。
公職選挙法の議員定数配分規定が原告の主張するように違憲であつたか否かは、本件総選挙施行当時未だ一義的に明白な事項ではなく、仮にそれが違憲であつたとしても本件選挙が将来必ず無効となり選挙費用として支出した公金がすべて無駄になるかどうかまでも支出の段階で予測するのは困難といわざるをえない。栃木県第一区の本件選挙については、宇都宮市長としての被告が財務会計法規に照らし選挙費用の支出自体を違法としてその支出を拒否すべき事由は何ら存しなかつたばかりでなく、実際にも、本件選挙については公職選挙法二〇四条所定の期間内に選挙無効の訴えは提起されなかつたことによりその有効性は確定しているのであるから、本件支出は適法というべきである。
2 地方財政法一〇条の四が国会議員の選挙については地方公共団体はその経費を負担する義務を負わない旨定め、公職選挙法二六三条は国会議員の選挙の費用は国庫の負担とする旨定めているのは、国がその費用(但し、その範囲は国が合理的な基準に従い算定する。)の全額を負担するという趣旨であるが、他面、これらの規定は地方公共団体が国会議員の選挙の費用を支出することを禁止する趣旨ではないことは明らかである。
また、本件支出は、本件選挙の目的を達成するための必要かつ最小限のものであり、地方財政法四条一項の規定にも反しない。
更に、本件支出の如きいわゆる超過負担は無制限に許されるものではないが、本件支出は市議会が承認した予算の範囲内の支出であり、実際にも、市議会の決算審議において承認されているのであるから、極めて合理的な支出というべきである。
加えるに、本件支出当時の宇都宮市の財政は極めて健全であり、同市は地方交付税の不交付団体であつて、その昭和五八年度一般会計の決算額は、歳入六八一億五四〇三万一六九六円、歳出六六一億七二七一万六三七九円で、差し引き一九億八一三一万五三一七円の剰余金を生じ、これを翌年度に繰り越している状態であり、同市の昭和五八年度の基準財政収入額は二八六億八五三一万三〇〇〇円で、地方交付税の制度上九億〇三一三万円の財源超過額を保有していたのであつて、本件支出は同市の財政に何らの悪影響も与えていない。
第三証拠関係<省略>
理由
一 請求原因1、2及び6の項の各事実はすべて当事者間に争いがない。
二 まず、本件選挙の違憲性と本件支出の適法性について検討する。
衆議院が解散されると、解散の日から四〇日以内に衆議院議員の総選挙が行われるが(憲法五四条一項、公職選挙法三一条三項)、その総選挙の具体的期日及び公示の時期は公職選挙法三一条四項の規定の範囲内で内閣がこれを定め、天皇の国事行為としてその施行が公示される(憲法七条四号)。
そして、この総選挙に関する選挙事務は都道府県選挙管理委員会がこれを管理し(公職選挙法五条一項)、都道府県選挙管理委員会が市町村選挙管理委員会を指揮監督してこれを行うこととされている(地方自治法一八六条二項)。
右のような総選挙の施行及びその選挙事務の執行の過程に関しては、地方公共団体の長は、内閣及び都道府県選挙管理委員会に対し何らの権限も有していないことは勿論のこと、市町村長は市町村選挙管理委員会に対しても、それを所轄の下に置き(地方自治法一三八条の三第一項、第二項)、主として予算の適正な執行を確保する見地から調査権(同法二二一条一項)等の若干の監督権限を有しているほかは、選挙管理委員会が地方公共団体の長とは別個独立の権限を有する執行機関とされる(同法一三八条の二及び四、一八一条)ところから、市町村選挙管理委員会が行う選挙事務に対しては直接の監督権限を有しないものとされている。
一方、地方財政法一〇条の四は地方公共団体が負担する義務を負わない経費として「国会議員の選挙に要する経費」を挙げ(一号)、公職選挙法二六三条は具体的に一七の項目を挙げて国会議員の選挙の費用を国庫の負担とする旨を定めている。したがつて、地方公共団体が国会議員の選挙の費用を支出するのは、当該地方公共団体の長の独自の判断により支出命令を発してこれを行うものに過ぎない。
このように、本件総選挙の施行及びそれに伴う本件選挙の選挙事務の執行と地方公共団体の長である被告がした本件支出とは、法令上はそれぞれ別個独立の権限を持つ機関がそれぞれ独自の判断に基づいて行うものであり、それら両行為の性質上からもその間には何ら密接な関係は存しないものというべきである。
それゆえ、本件支出が本件総選挙、したがつて、その一環をなす本件選挙それ自体の瑕疵によつて違法となるのは、その瑕疵が重大かつ明白な場合、すなわち、本件に即していうと本件総選挙、したがつて、本件選挙自体の違憲性が一義的に明白な場合に限られると解するのが相当である。
ところで、本件総選挙当時、選挙区間の議員一人当たりの人口による較差は最大一対四・五四であつた(昭和五五年の国勢調査による人口比)ことは当事者間に争いがなく、最高裁判所昭和五六年(行ツ)第五七号同五八年一一月七日大法廷判決(民集三七巻九号一二四三頁)は、本件総選挙が依拠した公職選挙法の議員定数配分規定について、昭和五五年六月二二日に行われた衆議院議員の総選挙においては選挙区間の議員一人当たりの人口による較差は最大一対三・九四に達しており、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度になつていたが、憲法上要求される合理的期間内にその是正がされなかつたとは断定できず、したがつて、議員定数配分規定も違憲と断定することはできない旨判示していたこと、本件提訴後に出された最高裁判所昭和五九年(行ツ)第三三九号同六〇年七月一七日大法廷判決(民集三九巻五号一一〇〇頁)は、同じく本件総選挙が依拠した公職選挙法の議員定数配分規定は本件総選挙当時憲法の選挙権の平等の要求に反し、かつ、憲法上要求される合理的期間内にその是正がされなかつたと断定せざるを得ないから、右議員定数配分規定は違憲である旨判示したことは、当裁判所に顕著な事実である。
これらの事実によれば、少なくとも本件支出当時においては、本件総選挙の違憲性、したがつて、その一環としての栃木県第一区の本件選挙の違憲性は、憲法上要求される合理的期間内に議員定数配分規定の較差の是正がなされなかつたと評価できるか否かという甚だ高度な判断にかかつていたのであり、これについて違憲立法審査権を有する終審裁判所である最高裁判所の判断も出ていない状況であつたことをも併せ考慮すると、本件選挙の違憲性は一義的に明白であつたとはいえないというべきである。したがつて、本件支出がこの点で違法とはならない。
三 次に、地方財政法等の見地からの本件支出の適法性について検討する。
前記のように、地方財政法一〇条の四は地方公共団体が負担する義務を負わない経費として「国会議員の選挙」を挙げ、公職選挙法二六三条は具体的に一七の項目を挙げて国会議員の選挙費用を国庫負担とする旨定めているが、これらの規定の趣旨は国会議員の選挙の執行事務は本来的に国の事務であるからその経費も国が負担することとし、地方公共団体にその負担を転嫁することにより地方財政の自主的かつ健全な運営を阻害することを防止することにあり、地方公共団体が独自の判断で自主的に国会議員の選挙に対し公金を支出することまでも禁止するものではない。
しかしながら、右のように国会議員の選挙費用はもともと国庫負担とされていることや、地方財政法四条の五が国の地方自治体に対する割合的寄附等の徴収を禁止し、地方財政再建促進特別措置法二四条二項が地方公共団体の国等に対する寄附金等の支出を原則として当分の間禁止して、地方財政の健全性を確保しようとしている趣旨、更に地方財政法四条一項が「地方公共団体の経費は、その目的を達するための必要且つ最少の限度をこえて、これを支出してはならない。」と定めていること等に鑑みると、地方公共団体は国会議員の選挙に対して全く無制限に支出できるものではなく、選挙事務の執行に必要であり、かつ、国庫負担の原則や当該地方公共団体の財政基盤等からみて著しく不相当でないと認められる範囲内でその支出をなしうるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、いずれも成立に争いのない甲第三号証、乙第一号証の二、第二号証の二、同号証の四から六まで、同号証の七の一から四までによれば、本件支出の内訳及びそれが国会議員の選挙等の執行経費の基準に関する法律(以下、単に「基準法」という。)により国から宇都宮市に対し交付された金額を超過して支出された理由は別紙記載のとおりであることが認められ、これに反する証拠はない。すなわち、超過支出の主なものは投票所経費(三〇九万五八三四円超過)、事務費(一九九万九二五二円超過)及び啓発費(九二万六八〇〇円超過)であるが、これらの超過支出が生じた理由は、投票立会人について基準法では一投票所につき三人として報酬を算定しているところ栃木県選挙管理委員会の指示により四人選任したため(公職選挙法三八条では三人以上五人以下とされている。)その報酬分が増加したこと、選挙事務の準備に万全を期するため基準法の算定よりも早くからこれに着手し、投票日当日の事務も基準法の算定では嘱託員や作業員を雇用することになつているところ選挙の公正かつ迅速化を図るため事務従事者としては全員選挙事務に精通した市の職員をもつてこれにあてたことにより、超過勤務時間が増加したとともに超過勤務手当の単価も増加したこと、投票所として休日は無人化している学校の体育館等の施設を多く使用したため、選挙管理委員会と各投票所との連絡手段として臨時電話を架設し、また投票所の照明度不足を補うため臨時電灯工事を行つたこと、栃木県第一区は議員定数五人のところ立候補者が六人(うち五人は現職)しかおらず選挙に盛り上がりが欠け、また知事選挙等各種の選挙が続いたことから有権者の選挙疲れによる投票率低下も予想されたため、広報の臨時特集号を発行したり看板等による啓発活動を積極的に行つたことなどにあると認められる。
右の事実によれば本件支出は全体として本件選挙を充実させその執行事務を厳正かつ迅速に行うために必要なものであつたということができる。
そして、本件選挙については国から宇都宮市に対し四七〇〇万五六〇四円が交付されたこと及び本件支出の額は六六〇万九一五七円であることは当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない乙第三号証、第四号証、第六号証の一、二によれば、本件支出当時宇都宮市は地方交付税(普通交付税)の不交付団体であり、昭和五八年度の決算における一般会計の歳入は六八一億五四〇三万一六九六円、歳出は六六一億七二七一万六三七九円で、差引額は一九億八一三一万五三一七円となり、これから繰越明許費等に係る繰越財源を差し引いた昭和五八年度の純繰越額は一八億六八〇一万四二四二円であつたことなどが認められ、この認定に反する証拠はない。
右の事実によれば、本件支出は本件選挙に要した費用の約一二パーセントに過ぎず、その当時宇都宮市の財政には相当の余裕があつたのであるから、本件支出は国庫負担の原則や同市の財政基盤等に照らし、著しく不相当であつたとは到底いいえない。したがつて、この点においても本件支出は適法である。
四 結論
よつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 野澤明 山田公一 阿部潤)
別紙<省略>